元気を招く 幸運を招く 頑張るオヤジの独り言 

ベテラン企業調査マンが介護で離職。いつの間にかのどん底生活から少しずつ這い上がる過程で得た「気付き」。企業調査マン、副業セミナー講師、カメラの転売商、お茶屋さんの顧問、バスケファンなど色々な目線で呟くブログ。

そもそもですが・・・副業のスタートの経緯について

☆ある副業の話~1 
・「せどり」開始から「最強せどり」○○へたどり着くまでの道のり

そもそも、私がカメラ転売に出会ったのはどういう経緯だったのかについて少しお話したいと思います。

私は介護離職後、様々な事業、副業を経験し失敗を繰り返してきました。時には、これは長続きするかもと
思っても、なかなかコンスタントに結果が出ないものが多く、試行錯誤、紆余曲折、挫折と進歩のないまま
時間を費やしてきたのかもしれません。
サラリーマン時代は業界大手の企業の部長職でしたので、収入もそこそこありました。
居酒屋大好き、外飲み大好き人間でしたので、毎週末には部下や同僚、取引先などなどと博多の夜の街「中洲」を
ふらふらする様な生活でした。当時は、副業の必要性もまったくなく、年金に対する将来不安なども感じたことはない。
仕事以外のことでは特に悩むこともなく、能天気な生活をおくっていたのです。
それが、父親が軽い認知症になり、その後、交通事故にあってから認知症が一気に悪化し人生が一変。
毎月田舎と福岡とを何度も往復する日々に突入したのです。
メンタルをどんどんすり減らし、削り続けて・・・遂には介護離職。
しばらくは失業給付や退職金で食いつないぎます。なけなしの貯金をつぎ込み起業はしたものの、なかなか思う様な結果が出ず。
悩み、苦しみ、生活もギリギリな状況の時、既知であった地元の某中堅企業のコンサルタントとして健康食品や物品の販売を
手掛けることになります。
当時の報酬は月額50万円。
これで何とか生活できる様になりました。やれやれ。
ところが、その生活も長くは続かず、3年を経過したところで契約解除を言い渡されます。
そして再びどん底へ。
コンサル時代の関係者、取引先などは、まさに手のひらを返す様に離れていきます。
わずかな人々以外は・・・。
そして、多い時には5人いた当時のスタッフも解雇せざるを得ず、一人(正確には嫁にも手伝ってもらいつつ)で
細々と物販を営みます。
当然、営業に割く時間は激減→赤字転落→借金増加→倒産状態 となっていきました。
追い打ちをかけるように体調を崩し、嫁も更年期からか寝たり起きたりの生活に。
さらに手術、骨折などなど。
何じゃこりゃ(泣)
ドラマの転落人生じゃん。

そんなある時、たまたま購入したヤフオクの文庫本の出品者Mさんとメールをやり取りする機会を得ました。
申し遅れましたが、私、読書大好きでして、特に刑事ものなどは週に1冊ペースで今なお読んでます。
マンガも好きですが。
話が逸れました。
このMさんは、60代で年金生活者なのですが、なんと副業で月額20万円以上の収入を得ていたのです。
何度かメールをやり取りしているうちにわかったことですが、Mさんは再婚で、今の奥さんは韓国の方です。
その関係でお付き合いしていた頃からしょっちゅう韓国に行っていたのだそうです。
定年退職でリタイヤしたMさんは、当時はやっていた「ブックオフせどり」をお小遣い稼ぎにと始めます。
出品先は「ヤフオク」と「アマゾン」。

最初はネット難民だったMさんですが、2年間独学で自分なりのノウハウを確立し月数万円を稼ぐ事に成功します。
更に、頻繁に渡航する韓国で「韓流」のDVDなどを買ってきて、「ヤフオク」や「アマゾン」に出品することに。
これで軌道に乗り、月20万円の副業が確立したのです。

この話を聞いて、私、ひらめきました。
年金の年齢でもネットビジネスってやれることに。
それから、私の50歳の手習いが始まったのです・・・